matobaの備忘録

育児しながら働くあるエンジニアの記録

誰も辿りつかないブログ記事も書く意味がある

今回は少し雑談気味に「誰も辿りつかないブログ記事も書く意味がある」という話をしたいと思います。*1

誰も辿りつかない記事を書く意味あるの?と思っていた

なぜ、こんな話をしているかというと私は以前「誰も辿りつかない記事を書く意味あるの?」と思っていたことがあるからです。インターネットに情報が溢れていて、「積極的にアピールしたり、検索エンジン向けの対策をしない限り、誰も自分の記事に辿り着かないんじゃないの?」と思っていました。

しかし、積極的にアピールしたり、検索エンジン向けの対策をするのは面倒です。正直、あんまり時間をかけたくないなあ、と思うわけです。そんな状態でも記事を書く意味はあるのかな?と思っていたことがあります。

そんな過去の自分が知りたかった情報をここに書きます。

自分の過去の記憶を簡単に引き出せることに意味がある

まず、一つ目の理由は「自分の過去の記憶を簡単に引き出せる」です。

自分の興味に従って行動していると、過去に経験したことに近いトピックに出会うことはあります。そんな時、過去の自分が何をどこまで考えたか、その時にどういう理由でどんな結論になったのか、ということを自分がすぐに引き出せるというのは大きな価値があります。

また、その時にどういう情報を参照していたのか、を見つけられるのもいいですね。正直言って私は、そこまで記憶力がいい方ではないので、自分が以前考えていたことをすぐに正確に思い出すことができません。でも過去に自分が書いた文章を見れば、すぐに思い出します。こんな理由があるので、自分の考えを言語化しておくことには意味があります。

これだけだとクローズドなノートアプリに書いてもいいように見えます。そう思って、私も非公開のノートアプリにたくさんの文章を書いています。

しかし、改めて別の理由もあることに気づきました。次に続きます。

すぐに見せられる状態になっていることに意味がある

次に、他の人が探して辿り着かなくても「すぐに見せられる状態になっている」というのは意味があります。

例えば、人と話をしている時に「そういえば、その話、前にブログでも書いたことがあるな」と思うことがあります。そんな時、自分がブログを検索すれば、すぐに自分の考えを思い出すことができます。そのブログがあれば、自分の考えをスムーズに引き出して、説明することができます。考えながら話すよりは遥かに効率がいいです。

また、時間がないときは、ブログの記事を渡すこともできます。「そういえば、さっきのあの話について、私も興味があって考えたことがある。こんな記事を書いたことがあるのよね」と言って出すのもアリではないでしょうか。まあ、相手が見てくれるかどうかは、状況によるでしょうが、自分の熱量や自分の考えを共有して、より深い話をするための一つの足がかりになるようには思います。

欲しい人が見れる状態になっていることに意味がある

それから、「欲しい人が見れる状態になっていること」にも意味があります。

人生の時間は限られていますので、全ての人に丁寧に説明している時間はないですし、会話する時間もなかなか確保できません。しかし、少しでも自分の考えたこと・やっていることに興味を持ってくれる人がいるのであれば、その情報を提供したいと思っています。

相手が欲しいなら、勝手に情報を取得できる、そういう状態にするためにブログ記事を書く意味はあります。特に「私のブログ」に書いておけば、私に関係する人が記事を検索して、私の意見を見ることができます。それも一つ意味があるのかなと思っております。

前に書いたことがある、という状態に意味がある

これは自分の自身で完結する話でもありますが「前に書いたことがある」という状態に意味があります。

私の経験上、自分が興味を持って調べていたり、考えていることは、人生の中で何度も何度も関わります。というか、無意識のうちに何度も出会って考えてしまいますし、人とその話題についてやりとりすることもあります。

そんな時に「一度自分なりに考えを吐き出したことがある」というのは意味があります。うまく説明できていなくても、「一度説明を試みた自分」と「一度も説明したことがない自分」だと前者の自分の方が説明が上手くなっているはずです。

なので、ブログ記事は、自分の考えを言語化する素振りのようなものです。誰も見てくれなくても、素振りし続けることで、いざ必要になった時の説明力が上がるだろうと考えています。

自分の考えを言語化して記事を書こう

今回、伝えたいのは「自分の考えを言語化して記事を書こう」ということです。

最近、さまざまな場所での活動に取り組んでいて思うのですが、想像していた以上に自分の考えや価値観は「一つの視点でしかない」と感じています。

立場や経歴、スキルや生活などなど色んなものが組み合わさって、ある事象を見た時に感じることが変わります。自分の視点から見えている物事は自分にしか見えていません。なので、自分自身が自分の視点から見えている景色を語らなければ、その景色は誰もわかりません。自分が見たこと・経験したことの意味すら、どこかに埋もれていきます。

それを言語化し、文章にすることで日々の生活や活動が色んな意味を帯びていくように思います。

はい。

それでは、今回はここで終わります。

ではでは

*1:まあ最近は雑談記事ばかり書いているのですが