ディレッタント(好事家)と言う言葉を知って、この言葉が印象的だと思いました。今日はその話を書きます。
好事家は、こうずか、と読みます。 この言葉は、次の本を読んでいて見つけました。

- 作者:外山 滋比古
- 発売日: 2016/06/02
- メディア: 単行本
次のような話の中で使われていました。
乱読ではまとまった知識を得るのは難しい。専門家になることはできない。研究者にもなれないだろう。
その代わり本に書いてないことを考え出すことはできる。一般に嫌われる乱読の隠れた力である。
文科系の人たちは、潔癖で、専門志向が強いから、はじめから乱読など問題にしない。そして専門をやかましく言う。(中略)そのつけが、非創造性として廻ってくる。(中略)新しいアイディアの生まれるゆとりがないのだ。
それに対するのが、ディレッタント(好事家)である。初めから専門などをあまり気にしないで興味の赴くままに、いろんなところへ首をつっこむ。
直ちに成果が上がると言うようなことはない。雑学である。本モノではない。しかし、面白いことを考える力がついていることが少なくない。
参考: P34 乱読のセレンピレディ
僕は自分自身がこの『専門を気にせず、興味のあるところに頭をつっこむ人』であり、ディレッタントだと思ってる。 だから、ディレッタント、と言うのが気になった。
僕の場合、何かを作っていたり何かをやってる時に、気になることがあると専門がなんであれ頭をつっこんで、あれこれ考えたくなる。少しでも良くできないのだろうか?と感じるからだと思う。
頭を突っ込んで仮に良い話になったとしても自分の実績になる事は基本的にない。ついでにそこで身につけた知識を褒められることもないし、邪魔になる時々ある。
でも自分が気になるので、頭を突っ込んでいたりする。迷惑な話なので少し控えようとする事もある。こういう行動は、器用貧乏と言われるスキルを作ることになるのであまり良くないとは思っていた。
それがこの本の中では、ディレッタント(好事家)として、ある意味で肯定されているように思った。それがなんか面白いな、と思った。
たしかに、気になったことに頭をつっこんで行く似たような人はいろんな面白いことを考えてると感じる。
まあ、それだけの話なんですけどね。