matobaの備忘録

育児しながら働くあるエンジニアの記録

「ブログにオチをつけない」という話

「ブログにオチをつけない」という話を見つけた。 印象的だったのでその話をする。

オープンソースのコードを読むことがある

私は、多くのオープンソースのソフトウェアを利用しているのですが、新しいライブラリを見つけると、とりあえずコードを読んでみたりします。新しく関わるライブラリが一気に増えるとそんなことも言ってられないのですが、マイペースに活動ができるようになると、読むようにしています。できるだけ「自分が使っているものが何なのか」ということを把握しておきたいのです。

作者情報を見つけることもある

そんな中で、当然ながらそのソフトウェアの作者情報を見つけることもあります。私は作者のページがあれば、読みにいきます。何をしている人が書いたものなのか、また、どういうバックグラウンドの方が書いたものなのか、に漠然と興味があります。

それを知ったからどうしようという話ではないのですが、作者のリンクがあれば、作者の方に感謝の気持ちもあり、確認しようと思います。

Pythonには色んなバックグラウンドの人がいる

私はPythonを利用することが多いので、読むコードもPythonが多いのですが、Pythonでよくみるコードの書き方もあれば、あんまり見かけない書き方を見ることもあります。そんなときに、作者のバックグラウンドを見にいくと「あー、この辺りから来られた方なのか」みたいなことを思ったりします。

Pythonというのは、色んな分野に利用できる言語だったり、その特徴から、さまざまな言語出身の方が合流するような言語になってます。日本の地域で言えば、東京みたいなものです。いろんな出身の方がいます。

作者のホームページを見つける

で、今回の場合は、作者のホームページに行くと、まさしく「何十年前に作られたのか」と思うような、古き良きインターネットなブログを見つけることもあります。おそらく作者の方は有名になるために書いてるわけでもなければ、多数の人に見つかることも望んでいないと思いますので、ここにリンクは貼りません。

記事のアーカイブがあったので、確認してみると、199X年代の記事まで出てきました。牧歌的な時代のインターネット。ホームページです。

ブログ更新の初心

そこで記事を眺めていると、印象的な話がありました。 それがその方のブログの更新の初心の話です。 その中の一つが「オチをつけない」でした。 なるほどなあ。

「オチをつけようと思うから更新が大変なのだ」という話を聞いたような気がして、印象に残りました。そういえば、最近、毎日何かを更新していて思うのですが、書きたいことを書いた後に「で、これは何が言いたいのか?」というオチを後から考えたりもします。で、結局のところ何が言いたかったのかを考えた結果、「それが言いたいのであれば、文章の構成がおかしいよな」とか思うこともあります。

そして書き直したりしようとすると、書いたものは下書きとして埋もれていきます。というか埋もれてます。

「そうか。オチをつけようとしてるから、大変なのだな」などと改めて気づいた話でした。