「教授法」というものが気になったので、気が向いた時に少しずつ学んでいます。
なぜ学んでいる?
自分にとって適した学習方法について考えたいからです。
まず、私は独学が好きなので独学をすることが多いのですが、独学では自分で考えて学び方を設計する必要があります。
学校で教えてもらうと、小学一年生に小学六年生で習う問題を解くことになることはありません。他の人に教えてもらう場合も、「それは今考えなくていい」とアドバイスもらえることがあります。
ですが、独学ではそのようなアドバイスをもらうことはできず、非効果的な学習方法に取り組んでしまう話が頻発します。
例えば、難しすぎる問題を勉強しようとして、理解できずに、しんどくなるとか、達成感がなかなか得られないとか。わからない点がわからないとか。です。
学ぶ人(自分)のレベルに合わせて適切な学び方は違うと思うのですが、今の所、それがなんなのか、というのはよくわかっていません。
「教授法」について学ぶと、それが見えそうな気がしたので学んでます。
なぜ教授法を学ぶとそれが見える?
教授法というのは、教育を効果的に行う方法論です。
まず、僕は教師は学びたい人がつまづく事なくスムーズに学びを進められるようにサポートする仕事だと思っています。
とすると、教師が教育に使う方法論というのは、それを実現するための方法になっていると思います。
そこから考えを進めると、「教授法を学ぶと、学びたい人(自分)がつまづく事なく学びを進められるように(自分で)学び方を考えることができるのでは?」というふうに思いました。
だから、教授法を学ぼうと思いました。
教授法を学ぶ他の理由もある
まあ、これは余談ですが、私は、日本語教師向けの教授法を中心に学んでいます。 それは私の妻が詳しいというのが関係します。
妻は、大学/大学院で日本語教育を専攻して卒業後に日本語教師になった現役日本語教師です。 自宅の本棚には日本語教育に関する有名な書籍が並んでいます。
だから参考になる文献が家にたくさんあるし、わからなければ妻に質問できるというのはすごくありがたいです。
実際、何度か以下のようなやり取りがありました。
- ぼく「この言葉の意味は〜〜〜〜という理解で合ってる?」
- 妻「その話は、そこの本棚にある〜〜〜という本に詳しく書いてる」
- ぼく「この言葉とこの言葉の関係は、〜〜〜で合ってる?」
- 妻「その話は、そこの本棚にある〜〜〜という本を読むとわかる」
それで、本を読んでみると、知りたい情報が書いてあるのでスゴイ
あとは、そもそも日本語教育のような新しい言語を習得するような学習って、僕はすごく難しいはずだと思っていて、それに関する教授法はすごく本質的な話をしているような気がするなーと思ってます。言語学習って、新しい考え方をどうやって学ぶのか、抽象度の高い話になりがちだと思いますし。
教授法の三つの観点
新・はじめての日本語教育 基本用語事典 新・はじめての日本語教育
- 作者:高見沢 孟
- 発売日: 2004/03/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
上記の本を読んでいて、教授法の三つの分野について学びました。
- 言語の本質を考えて、それをいかに教えるべきかを考える分野
- 言語習得について研究し、効果的に学習する方法を考える分野
- 教材をどう扱い、どんな手順で指導するかを考える分野
なるほど。確かに、教え方(学び方)を考えるにあたって、これらの観点ってすごく重要だと思います。
教える時って、最初は抽象化していたり、情報を除去した状態で教えることになりますが、本質が間違っていると、学ぶ人が理解が土台から崩れる可能性があるので本質がなんなのか、は大切だと思います。
それに、学習の戦略や戦術の大切だと思います。なるほど。面白い。
教授法に銀の弾丸はない
あと、「そもそも教授法とは」みたいな話を質問してた時に以下の本をお勧めされて読みました。
この本の中の面白い話があって、そりゃそうだと思ったのですが、紹介します。
- 学習者の属性、学習目的、学習環境の違いに合わせた多種多様な学習法や教授法が開発されている。
- 全ての学習者のニーズに100%答えることのできる唯一万能の教授法というのは存在しないのが常識である。
- したがって、複数の教授法の中から学習者のニーズにかなう部分を取捨選択して組みあわせるのがもっとも望ましい。
ソフトウェア開発でもどんなニーズにも答えられる開発プロセスがないような話に近くて面白い。そして、独学が好きな僕の場合、やっぱり自分で学び方を設計しないとなーと思いました。改めて。
国と学習方向の違い
あと、「日本語教育を学ぶ」の中に、国別の学習方向の違いが書いてあってそれも面白かったです。
まず、東南アジア/日本の場合、「形から入って内容へ向かう」というのが教育の一般的な流れのようです。
とりあえず意味はわからないけど、使ってみてたら意味がわかってくる。ということだと思います。
一方で、西洋文化の場合、「理解から入って形に向かう」という流れが一般的のようです。
これが面白いなあ、と思ったのは、僕の理解の方法は、西洋文化の「理解から入って形に向かう」という理解だったことです。
本の中に以下のように書いてありました。
西洋文化で育つ学生は、ある物事の内容を理解できない限り、新しい情報、表現、熟語、文字などを習得できないし、習得しようともしない。
この話、めっちゃわかる。学校で習うことは、あんまり理解できないとか納得ができない。と思っていたのですが、「ああ、僕の学び方って西洋文化っぽいんだなー」というのがわかったのが一つの成果です。
それがわかれば、西洋文化っぽい教育法を自分で試してみるとかできますし。あ、そういえば、和書を読むより、洋書を読む方が理解しやすいと思うことがあったのですが、それもこの話と関係あるのかも、と思いました。
終わり
今回は、教授法というのをちらっと学んでみました。
自分が、もやもや思っていた部分が少しでも解消された感じで面白いなあと思いました。
また、似たようなこと興味ある人がいれば、情報をくれたりコメントくれると嬉しいです。
ではでは。