matobaの備忘録

育児しながら働くあるエンジニアの記録

自分のいる環境と知識の流れ

「自分がいる場所でどんな情報が流れてくるかが大きく異なる」と思ったので、その話をします。

当たり前は人によって変わる

個人で活動し始めて、色んなところでお話することがあります、 その中で、ある人にとっては当たり前のことが、別の人にとっては当たり前ではない。 最近、そんなことをよく見かけます。

これ自体は、別に言われなくても知ってることでしょうし、大きな気づきもありません。強いて言えば、最近は、インターネットで情報を収集することが多いので「パーソナライズ」という名のもと、ある程度カテゴライズされて情報が配信されているため、「自分が知ってる情報は周りみんな知ってる」みたいな状況になりがちだったりしました。それにより何が内輪ネタで何がそうでないか、がわかりにくくなってるように思います。

そんなこともあり、今までに話をしてなかった人と話をしていると、「え、あの知識、みんな知らないの?」と思うことに遭遇するケースがぼちぼち発生しています。なんとなく知ってそうな気がする人が知らないこともあり、もはや何が何やら、と思うこともあります。常識とはなんだったのか。

環境が変化すると大きく知識の流れが変わる

それと関連する話として、ある機会があり、自分の経歴や知識を棚卸して整理しています。整理をしていると、自分の知識更新の加速や減速の節目を見つけました。それは、自分の環境が大きく変わるタイミングです。いわゆるキャリアチェンジのようなタイミング。

過去を眺めてみると、そのタイミングで自分の知識の更新が止まっている領域があることに気づきます。そんな領域を見つけると「ああ、自分のこの知識はこの環境から流れてきてたんだな」と思ったりします。それが良いとは悪いとかではなくて、「知識の流れは環境の影響を受けている」ということを改めて実感したのが、少々興味深いと思ったりします。

知ってたはずなんですが、忘れてましたし、その知識と経歴の棚卸しから環境が知識に与えるインパクトの大きさを改めて実感しました。さらに言えば、「自分のある領域の知識を増やしていきたいのであれば、環境を変えるしかない」ということも思い出したりしました。

環境を変えると生活が変わり、生活が変わると増えていく知識も変わります。「特定の領域についての知識を増やしたいなら、環境を変えるのが一番効果的」という話を改めて考えたりしました。

環境が変わっても変化しない領域もある

さらに経歴と自分の知識の更新を眺めていると、どの環境でも収集し続けていた領域があることに気づきます。興味深いと思ったのは「全ての知識が環境の影響を受けて蓄積されているわけではない」という部分です。「どこにいても自分が本当に興味あることは、自ら情報を収集していく」という事実です。これは当たり前ではあります。

しかもそれは、地理も積もって形になるようなものであり、収集していた時は何のために情報を集めていたのか分かってませんでした。ただ、過去から今までを振り返ってみて、知識を棚卸してみると、「どこの環境から出てきたのかわからない知識領域があるな」と思ったりもします。

終わり

まあ、今回もだから何という話ではないのですが、思ったことをつらつらと書いてみました。

取り止めのない話ではありますが、誰かに何かしらの刺激や参考になれば、と思います。

ではでは。