matobaの備忘録

育児しながら働くあるエンジニアの記録

「盆栽を眺める爺さんの気持ちがわかるかも」と思った話

今日は誰が興味あんねん、な話をします。 最近、ふと「盆栽を眺める爺さんの気持ちがわかるかも」と思いました。今のところ、盆栽をゆっくり眺める時間はないのですが、そう思った話を雑談がてら書いてみます。

盆栽は変な曲がり方をしている

念の為前置きすると、私は盆栽というものをよくわかってない素人です。盆栽とは何かについても調べていません。なので、間違った情報があれば申し訳ないのですが私の知る限りで「盆栽」と呼ばれているものを見ると、大抵、変わった方向に曲がっているように見えています。

私は田舎に育ったのですが、山で遊ぶことも多く、身近に野生の木がありました。そんな自分が曲がった木を見ると「不自然」を感じます。だって、木は何もなければまっすぐ上に伸びると思うので。「なんでこんな風になってるんだろうな」と思っていたりしました。

なぜ、変な方向に曲がってるか

何もなければ、上に伸びるのに曲がっている木を見ると、私は「そこに何かがあったんだろうな」と思います。何かがあったからそれを避ける形で伸びていったのでしょう。木は時間の経過とともに成長し続けるので、何か邪魔なものがあったとしても、成長を止めることなく、育っていきます。

つまり、「今はない」としても曲がっているということは、「そこに何かがあった」ということを示唆するように思います。だから何という話ではないのですが、「ここに何かあったんだろうなあ」と思ったりするします。

都会では変な方向に曲がっている木をよく見る

今、私は東京に住んでいるのですが、東京に来たばかりの頃は「変な方向に曲がった木がよくあるなあ」とか「不自然な分かれ方をしてる木があるなあ」と思いました。当時は理由がわからなかったのですが、最近は少しずつその理由がわかってきました。

それは、それは木の形を整えるべく意図的に曲げたり、そう切っていることがあるようです。

私の知ってる剪定と違った

私の祖父は林業を行なっていて祖父の家には木がありました。そして、木の剪定を行うこともありましたし、私も剪定を手伝うことがありました。そんな私が手伝った剪定のほとんどは木が横に出て行かないように高く伸ばしていくための剪定であったように思います。

例えば、私が祖父に教わった剪定は以下のページで紹介されているような剪定です。山や道に隣接した位置にへている木でしたので、まっすぐ上に伸びていくように剪定される木が私の中で「自然な木」でした。

lovegreen.net

東京だとまっすぐ上に伸ばせない事情もありそう

東京は様々な建物が密集していて、たくさんのルールが存在しているようです。例えば、家を建てようと土地を買ったとしても、その土地に建てられる物件には制限があります。物件の高さはここまで、とか。こういう形にしちゃだめ。とか。

私も、住宅展示場でハウスメーカーの担当者と雑談をしている中で聞いたレベルの知識しかないので、具体的なルールは知りませんが、言われてみるとなんとなく予想はできます。確かに、周囲に2階建て、3階建ての一戸建てばかりの地域の空き地に10階建ての雑居ビルがいきなり建ったとしたら住民としては「ちょっと待てよ」という話になりそうです。

同じような問題が木でも発生することが予想されます。どんどん大きくなって、周囲の視界を遮ったりするようになると、クレームにつながることもあるでしょう。

植物の育ち方にはそれなりの理由がある

そんなこんなで植物が変な形に育っているな、と思ったとしても、それはそれなりの理由があったのだろうと思います。そう思うと、いろんな形になっている盆栽も植物の生命力を感じますし、「何があったのかなあ」とぼんやり考えつつ色んな想像にふけるのは時間を持て余した老後の暇つぶしとして一つ良さそうな気はします。

ソフトウェアのソースコードを眺める

余談ですが、歴史あるソフトウェアのソースコードやコミットログを眺めている時に、私は似た楽しみ方をしてるような気がしています。いろんなソフトウェアのソースコードを見ていると「なんでこうなったんだ?」と思うようなコードを見かける時もあります。

そんな時に、コミットログを眺めて、当時の状況を想像して「なるほどなあ」と当時の苦労に触れてみるのは、何か好きなことであったりもします。いろんな苦労があったんだなあ、と。

まあ、それでも不要なコードは不要なので、ドライに削ったり書き換えたりしますが。

終わり

はい。別に何が言いたいとか伝えたいという話ではないのですが、今日は、先日思ったことを紹介しました。