matobaの備忘録

育児しながら働くあるエンジニアの記録

何を軸にして考えるといいのだろう?

今日は最近読んでいるザ・ゴールという本の話をします。

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

この本は、全米で250万部売れたビジネス小説らしく、TOCという理論を説明しています 。

と言っても、私もTOCの事はこの本で知った程度で、詳しくはありません。勉強中です。

そもそも本の内容に入る前に書きたいのですが、、、、

世界で250万部は半端じゃない!

250万部ってどれくらい?ってのをイメージするために日本でベストセラーになってる本のランキングを探しました。

www.rache1.com

もしドラが270万部くらいで、ノルウェイの森が242万部くらいです。

しかもこれは日本以外の国では1986年頃に発売されたのに、日本では2001年まで発売が認められなかったそうです。

これって、日本がバブル真っ盛りで不況に突入したけど、日本にこの本は見せない。って話だった。ってことですかね。

なんてこった。

まあ、こんな感じですごい本なわけです。

この本を今読んでいるのですが、ここからガシガシとネタバレしつつ、本を読んで僕が考えていたことを書きます。

本をゼロから読みたい人はUターン願います。

この本で書かれている話は、潰れそうな工場をどうやって立て直していくか、という話です。

工場が潰れそうだと聞いて、僕はお金に関する事を改善するのかな?と思いました。ただ、最初はその他のことを改善していたりします。

工場が潰れそうになると、経営者の立場からすると焦りすぎて、二進も三進もいかないようになるのだろう。と思いました。

そして、途中からお金の流れをどう改善するか、という話になっていきます。

利益率とか売上、キャッシュフローの話になっていきます。ただ、TOCでは、利益率や売上、キャッシュフローを最適化せずに、以下の3つの数字を見ます。

この3つの定義が少し一般のイメージと違います。

スループットというのは、販売を通じてお金を作り出す割合

在庫は、販売しようとしたものを購入するために費やした全てのお金

業務費用は、在庫を販売するために費やすお金

です。

売上や利益率、キャッシュフローは、お金がどれくらい上手く回っているかを測る指標です。それと比較して、この3つは、モノがどれくらい上手く回っているかを測る指標です。

個人的には、これだけでも面白いなあと思います。ザゴールで取り上げられているTOCは、工場の生産をコントロールする理論ですが、この考え方は、工場だけでなく、他のものにも適応できるのでは?と僕は思っています。

一般的に経営の健康状態を測る指標として、

の3つがあると思います。

これは僕の理解によると、

  • どれくらいのお金が入ってきているのか
  • それを稼ぐためにどれくらいお金を使ったのか
  • どれくらいのお金が手元にあるのか

の3つを把握するための指標です。

それに対して、TOCであがる3つの指標は、

  • お金に換算するとどれくらいのモノが出ていったのか
  • モノを売るためにどれくらいお金を使ったのか
  • お金に換算するとどれくらいのモノが手元にあるのか

の3つを測る指標になってます。

なるほど。

ですので、私としてはTOCは、従来の経営指標をモノを軸にして測った理論ではないかと思います。

TOC自体は1980年代後半に流行った本なので、大量生産の時代に有用な考え方だったと思います。とは今は少し時代が変わっているのでこの考え方自体も、今の時代にあったものに変えないといけないはずです。

僕は今の時代なら、知識か行動のどちらかを軸にして考えるといいんじゃなかろうかと思っています。

みなさんはどう思いますか?

とりあえず、今回はここまでにして、本を読み進めたいと思います。

この二ヶ月でよかったこと

暑い。暑いですね。もう8月です。夏ですね。こんばんは。mtbです。

今日は僕の愛用しているモレスキンノートの話をします。昨日、いつも使っているモレスキンノートがなくなりました。そして、なくなったので、新しいモレスキンノートを買いました。使っていたモレスキンノートはこれです。

XLサイズで、無地のモレスキンノートです。ハードカバーがお気に入りです。少々高いのですが、モレスキンノートを使っていると気分がいいので、全然気になりません。

モレスキンのノートは、もう3年以上愛用しているのですが、これまで10冊近く書きました。日に日にノートを書く量は増えています。なんでなんでしょうね。PCで仕事しているのですが。

モレスキンのノート、特に僕が使っているノートは、一冊で192ページあります。今回は、それを二ヶ月弱で使い切ってしまいました。二ヶ月弱というと、だいた60日くらいなので、1日3ページくらいノートを書いていたことになります。

僕は、ノートに日付を書きながら、いろんなことをメモしています。と言っても、基本的に書いてあることは考え事のメモなのですが。

せっかくなんで、ちょっと中身を振り返ってみました。

うーむ。

面白いですね。

ああ、3週間前、一ヶ月前、3日前、1週間前、はこういうことを考えていたんだなあって思うのが面白い。

なんとなく二ヶ月を眺めていてよかったなあと思うのは、二ヶ月前は、経緯の整理をしていることが多かった。

何が起きているのかとか、なんでこうなったのかとか、なんでこういう話をされているのか、自分がこう思う理由はなんなのか、とか。

それが少しずつ、現状の整理や解決策の整理に頭が動いてきている。

また、現状の整理が多いのはあるんだけど、それでも、これまでの経緯の整理のような部分が、だいぶ片付いてきた感じはある。

それが、この二ヶ月でよかったことだなあ。

考えるのをやめてみたら?って話

考えるのやめて見たら? って言われたことがある。

なんでそう言う話になったかと言うと、 僕がたくさんの悩みをもっていたからだ。

悩みがたくさんあって大変だなあ、みたいな話をした時に、考えるのをやめてみたらどうか。と言われた。

うーん。

悩みがたくさんあって大変な時に、考えるのをやめても、しょうがないんじゃないの?って思った。

なぜかというと、考えるのをやめても、悩みが減るわけではないと思うから。

ただ、もう少し考えてみると、悩みが尽きないから考え続ける。と言うのは、仕事があるから働き続ける。と言うことに近いのではないかと思った。

なるほど。ブラック企業かな?

ふむ。休息は必要な気がする。

じゃあどうすればいいんだろう?

仕事であれば、1日これくらいの作業ができるとして何日かかるか、を見積もったりする。それが非現実的な引き受けてはいけない。

うん。

ということを考えると、今のところ、非現実的な範囲で考えを膨らませてしまっている。ということかなあ。

あと、ここまで考えた上で、考えるのをやめてみるというのは、ずっとやめるのではないんだと思った。

頭を休ませるのも大切なのかもなあ

いろんなことをやってますね。という話

さてさて。こんばんは。 今日もブログを更新したいと思います。mtbです。

何を書きましょう。うーん。何を書いたらいいんですかね。

とりあえず、最近考えていることについて、書いてみるのがいいんですかね。

よし、そうしよう。

先日のブログにも書きましたが、悩みみたいなものは、日々増え続けていくものだと思います。 僕は、それを毎日毎日、考え続けているのですが、毎日、悩みはどんどん変わっていきますし、数も増えていきます。

だから、何を考えているのか、と言われてもなかなか答えるのが難しい状況ではあります。 (まあ、誰かに何を考えているのか、と言われた訳ではないのですが。)

そういえば、人に言われたことといえば、昨日「ブログ見てますよ。」と言われました。 あと、「やりたいことに対して、色々行動していてすごいと思う。」みたいな話も合わせてされました。

はい。ありがとうございます。

素直に、ブログを見てくれているというのは嬉しい話ですよね。とはいえ、嬉しさをどう表していいのかはよくわかりませんが。

あと、色々行動していてすごい、という話があったんですが、そんなに僕は行動しているのだろうか。と僕は、思ったりしました。

うーん。行動しているんですかね。 確かに、考え事はしていますし、考えた後に行動はしていると思うのですが・・・。

僕自身としては、もっと行動の数を増やしたほうがいいんじゃないかなあと思っていたりします。 なんていうんでしょう。

行動する時間ではなくて、行動する数といいますか。

もっと一つ一つのことをこなすスピードが上がるほうがいいと思っているんですよね。

なんといいますか、一つのことをしてから、それが良かったのか悪かったのか判断できるまで、少々時間がかかるように思うのです。

いや、少々時間をかけて、それが良かったのか悪かったのかを考えたいと僕は思っているのです。

それに、少しだけ着手してしばらく経った後に、状況が見えてくることもあると思っているんですよね。

うーん、説明が難しいですね。なんていえばいいんだろう。とりあえず図を描いて見ます。

例えば、3つやることがあったとして、それらを順次実施したとします。

じゃあ、横軸を時間とすると、対応している時間は、こんな感じになりますよね。

f:id:mtb_beta:20170728011445j:plain

それを一つ一つの塊を小さく分割して、数を増やします。分割したとしても、最終的に使う時間は同じように考えます。 とりあえず2等分して、半分対応したら、別の項目に移って、全て対応できたら残りを対応した場合、こんな風になりますよね。

f:id:mtb_beta:20170728011524j:plain

こういう風にすると、一回保留した状況をもう一度思い出す手間があって一見すると効率が悪いのですが、こういう風にやることでうまくいくことがあったりもします。

例えば、タスクというのは保留している間も、状況は変わっていきます。 タスクに半分着手した状態で、状況が変わったり、軌道修正が入ったり、はたまた時間によって、そんなタスクは無くなったりします。

f:id:mtb_beta:20170728011708j:plain

問題には様々な種類があります。

  • 全体の10%だけ対応した後に、状況が見えてくる問題、
  • 全体の70%だけ対応した後にしばらく放置しなければ解決できない問題、
  • 定期的に、30%の進捗を出し続ける必要のある問題
  • 一気に100%まで対応しなければ、じわじわと進捗率が減っていく問題
  • 進捗率が、60%を越えると、放置しても解決していく問題

問題がどういう話なのか、というのは、着手しないとわからないと思うんですよね。

だから、早めに着手したほうがいいと思っています。 そうなると、先ほどのように大きいタスクを並べて対応するのはあまり望ましくないのかなあと思ったりします。

並べて対応してしまうと、3つ目のタスクの中で、待機する必要性があるとわかった後、待機している最中にやる他のこと無くなってしまいますしね。

無駄な時間を省きたい、という想いがあったり、まあ他にもいろんな想いがあって、いろんなタスクを並列で進めようとしていたりします。

そして、僕がやろうとしていることは、こんなイメージです。

f:id:mtb_beta:20170728012904j:plain

できるだけ細かく切って、たくさんのタスクを並走して実行するイメージ。

このやり方をやると、そのタスクの経緯を一つ一つ思い出すのに時間がかかってしまいます。 ただ、それについては、諸々試行錯誤中です。

どうすれば一つ一つの経緯を思い出す時間を短縮できるのかなあ、と思っていたりします。

今の所は、Evernoteになるのかなあ

あ、適当話をしていましたが、そろそろ眠くなってきたので寝ます。

おやすみなさい。

悩みはそんな簡単に減るものではない

さて、ブログでも更新しますか。

特に更新するような話はないんですが、書きます。

僕は、とりあえず気になったことを何でもかんでも自分の個人タスクリストに突っ込んでいて、それを後から考える、という流れを取っているのですが、タスクリストに突っ込まれているやつが本当にたまりすぎていてですね。

とりあえず1000個くらいよくわからないやつが溜まっていて、これどうしたもんかな、と思っています。

1000個も気になることがあったら、大変なんですよ。 仮に一つあたり15分考えたとしても1.5万分かかるわけです。

1.5万分って何時間ですか。という話もあるわけです。

まあ、250時間くらいです。

250時間はやってられないでしょう。

しかも、1000個の悩みについて考えて行くと、だいたい、800個くらいは新しい悩みが出てくると思うんですよね。

問1

悩みが一つ解決すると80%の確率で新しい悩みが出てくる、と仮定したところ、 1000個の悩みがあった場合、悩みが0になるまで、幾つの悩みを解決しないといけないか。

nayami_num = 1000

kaisho_num = 0

while nayami_num > 1:
    kaisho_num += nayami_num
    nayami_num = nayami_num * 0.8

print(kaisho_num)
$ python nayami_kaisho.py
4995.048239842859

こういう話で、1000この悩みを解決するには、実際には、4995個の悩みを解決しないといけないんですよ。大変なんですよ。

しかも、この約5000の悩みを解決するのはいつなの?って話です。

例えばの話、1日あたり1時間だけ、悩みを解決する時間に当てられたとしましょう。 今のところ、15分で一つ悩みを解決できるので、1日4つの悩みを解消できます。 じゃあ、全部解消するまで、何日かかるんや。という話です。

問2

悩みが一つ解決すると80%の確率で新しい悩みが出てくる。そして、1日あたり4つの悩みを解消できる。 1000個の悩みがあった場合、悩みが0になるまで、何日かかるか。

 

nayami_num = 1000
kaisho_num = 0

nayami_min_by_day = 60
kaisho_speed = 15

kaisho_speed_by_day = nayami_min_by_day / kaisho_speed

nayami_mou_ichido = 0.8

sugita_hibi = 0

while nayami_num > 1:
    nayami_num -= kaisho_speed_by_day
    kaisho_num += kaisho_speed_by_day

    nayami_num += kaisho_speed_by_day * nayami_mou_ichido
    sugita_hibi += 1


print(sugita_hibi)
$ python nayami_kaisho.py
1249

ってわけで、1249日もかかるわけです。えー・・・3年以上もかかるの・・・。

となるわけです。非常に残念です。

しかも実際の話、2日に1つくらい、悩みは増えて行くと思います。(適当ですが)

じゃあどういうふうになるか。

問3

悩みが一つ解決すると80%の確率で新しい悩みが出てくる。そして、1日あたり4つの悩みを解消できる。 さらに、2日に一つ悩みが増えるとする。1000個の悩みがあった場合、悩みが0になるまで、何日かかるか。

nayami_num = 1000
kaisho_num = 0

nayami_min_by_day = 60
kaisho_speed = 15

kaisho_speed_by_day = nayami_min_by_day / kaisho_speed

nayami_mou_ichido = 0.8

nayami_plus_freq = 2
nayami_speed_by_day = 1 / nayami_plus_freq

sugita_hibi = 0

while nayami_num > 1:
    nayami_num -= kaisho_speed_by_day
    kaisho_num += kaisho_speed_by_day

    nayami_num += kaisho_speed_by_day * nayami_mou_ichido
    nayami_num += nayami_speed_by_day
    sugita_hibi += 1


print(sugita_hibi)
$ python nayami_kaisho.py
3331

ってわけで、3331日もかかってしまうわけです。 残念だ。あと10年は悩みっぱなしです。

じゃあ仮に、悩みが解消される確率を20%から10%にまで下げていいから、 一つの悩みに割く時間を3分にしたとしましょう。

じゃあどうなるでしょうか。

答えは、666日で全ての悩みが解消されます。

なるほどなるほど。

ということは、悩みが解消される確率が仮に5%だったとして、1つの悩みに割く時間を一分にするとどうでしょうか。

答えは、400日で全ての悩みが解消されます。

そうかそうか。

なるほどね〜

はい。まあ、人生大変ですね。

悩みがあるうちが人生楽しいと思いながら、考えます。

今日はここら辺で終わることにしましょう。

ブログ記事の移行準備を進めています。その3

ブログ記事の移行の準備として、過去のブログ記事を確認しています。

やっと2014年まで来ました。2010年まであるので、まだまだ先は長いです。

ブログ記事を見返しながら思ったのですが、この2年間くらいは、勉強したいといっていることがなかなかできていない2年間だったなあと思います。

3年前は、勉強したいといっていることをどんどん勉強することができたのですが、ここ2年くらいは、それがなかなかうまくいっていませんでした。

その理由は、仕事が忙しかったからだろうなあ

仕事が忙しかったというのは、体力的な話じゃなくて、精神的にしんどかった。

精神的にしんどいというのは、周りの圧がすごいとかそういう話ではないです。 自分がやりたいことを自分ができていないという状況がしんどいという話です。

なんとなくの話なのですが、僕自身は、自分のやることの大部分を自分でコントロールすることができていないと、気持ち悪さを感じてしまいます。

気持ち悪さというか、なんだろう。精神的に疲れてくるというか。そうですね。

とりあえず嫌な気分になるんですよ。自分の行動を自分で決定することができない場合。

とはいえ、最近職場を変えてから、以前より自分の行動を自分で決定することができるようになりました。

何を勉強するかを人に指示されることもないし、勉強方法を指示されることもないし、何かの進め方を指示されることもないですし。 これはあれですね。

高校生から大学生に入った時に感じた何かに似ていますね。

高校生の時は、自分が何を勉強するのか決められていて、自分が嫌いな科目もある程度やらないといけないし、自分が好きな科目をたくさんすることもできない。勉強というのは苦行だったのです。

でも大学生になってから、自分の好きなことを勉強していたら、勤勉だという話になって、それは素晴らしいなあ、楽だなあと思ったことを思い出します。

これからもできるだけ自分の好きなことや興味のあることをやっていきたいなあと思います。

ブログ記事の移行準備を進めています。その2

引き続き、ブログの移行準備をしています。

移行準備といっても、過去のブログをひたすら読み返してる状況になっているんですけどね。

そんな風に過去のブログをひたすら読み返していると、ブログは思考のスナップショットなのかなあと思ったりします。

当時の僕は、ブログを更新するための敷居がめちゃくちゃ低くてですね。ツイッターに投稿するくらいの気軽さ、でブログを更新していたように思います。

いや、すいません。ツイッターは言い過ぎました。

ただ、文章を事前に決めて、記事を書いているわけではなく、何か思うことがあれば、それを書き起こして、ブログにしていました。

今も同じように、思うことをブログ記事にしています。

こういう記事がたくさんあると、第三者的に見て、あんまり面白くないように思うのですが、書いている人本人としてはなかなか面白いなあと思ったりします。

あー当時僕はこんなことを考えていたのかあ。みたいなね。

そういう日記を眺めるのは楽しいですよね。

まあとりとめのない話なのですが。