matobaの備忘録

和歌山と東京を往復しつつ活動するエンジニアの記録

司法と国と論理の間の何か

ベトナムに縁がある話をしたり、国によって法律やその運用がなんか違うようだよね、という雑談をした後に、色々調べていたら面白いことに気づいた。それを書く。なお、インターネットで調べた素人なので、勘違いが含まれている可能性はあります。

判例法主義と成文法主義

司法の界隈では、判例法主義と成文法主義があるらしい。

私は法律の専門家ではないのでインターネットで聞きかじった話ではある。が、私の理解を元に書いてみる。

  • 判例法主義では、裁判所の判例がそれ以降の裁判の基準になる。つまり、裁判所は新しい法規範を作る責務を持つ。
  • 成文法主義では、法律として記載された情報を重視する。つまり、裁判所は法律を解釈して適用する責務を持つ。

ということで、どんな考え方をベースにしているかで裁判所の役割が変わるようだ。面白い。考えたことなかった。

国と司法

  • 英米の司法は、「判例法主義」らしい。
  • 日本の司法は、「成文法主義をベースにしつつ、判例法主義も意識する」らしい。
    • 大日本帝国は成文法主義だったが、GHQの関与で判例法の考慮が重要となった経緯と私は理解した。
  • ベトナムの司法は「成文法主義」らしい。

私は専門家ではないのでフワフワとした話になるが、このような話を聞くと何か、あー、なるほど、と思うことはある。

帰納法と演繹法

法律ではなく、科学や哲学の領域では、帰納法や演繹法がある。この二つの関係は、判例法主義と成文法主義に似ているな、と思った。

帰納法は観察や経験を元に法則を見つけようとする考え方であるが、判例法主義も判例を元にして法を導こうとする。どちらも事例から原則を導こうとする。

一方で、演繹法は一般的な原則や前提を使って、個別の結論を導く。成文法主義も予め定められた法から個別のケースに結論を出す。どちらも原則から出発し、事例を考える。

というわけで

だから何という話はないのだが、新しい概念を見つけて、ふむふむ、とやってたらそれが自分の知ってる概念に近いと感じたので面白く感じました。

終わり